2011年04月30日

旅の再開

お伊勢さんにお参りして、すっかり歩き旅から遠ざかってしまった今日この頃。
計画停電のせいで早朝出勤にあわせて駅まで片道4Kmを2〜3週間ばかり歩き、ふと思い立った。
せっかくお伊勢さんまで行ったのだから、東海道で京都まで行ってみようではないか!?
四日市の少し先、追分までは東海道。伊勢街道はそこから分岐した。
東海道はそこから亀山に向かい、鈴鹿峠で滋賀県に入って大津そして京都へと続く。
順調にあるけば残り1週間程の旅路になるはず。

そんなことを考えつつも、踏ん切りがつかないまま黄金週間になってしまった。
安上がりな移動手段=高速バスの空席情報を見てたら、まだ空きがあるじゃないですか。
衝動的に往復の切符を押さえてしまった。距離があるので日帰りはあまりにもったいない。
1日目は四日市から亀山まで歩き、そこで宿泊。2日目は鈴鹿越え。こんなんでどうだろう。
残りはまたそのうち歩けばいいだろう。体も鈍り切っていることだし…。
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2011年04月14日

地震と外国人

先日、日中に大き目の余震があった時の話。ちょうど某ドイツ系企業でミーティングに参加していた。ミーティングが始まってから間もなく一斉に鳴り出す緊急地震速報、そして地震発生。これがかなり揺れ、壁にぶら下がっていた額も右に左に大揺れ。そんな中、ドイツ人社長は日本人並み、もしかしたらそれ以上に平然としていた。開口一番(日本語で)冗談を飛ばして場の雰囲気をほぐしたのも、なかなか。さすが在日20年は伊達ではないです。確かにそれだけ日本に住んでいたら、地震も当然慣れっこにはなるとは思うけど、さすがに大地震にはそうそう遭遇しないと思うんだけどな。ちなみに本国から赴任するはずだったドイツ人は“なぜか”まだ来ていないとかなんとか。

とりあえずテレビをつけて簡単に情報収集を済ませたあとは、ふたたび平常に戻った。建物はまだふらふら揺れてはいたのだけど、それはそれ。会議室はビルの中層階にあったけど、建物全体が揺れるような感覚がなんとも嫌だった。おまけに地震が終わったあともしばらく揺れが続くような感覚も。新しいビルだから耐震性は十分なんだろうけど、ビルならではの揺れ方も嫌なもんですな。
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2011年04月07日

今日のスーパーその3と余談

帰宅途中にスーパーにぷらり。冷蔵庫の中の牛乳(北海道産)がもう残り少なくなっていたので、買っとかなきゃ。先日は豊田の牛乳も売ってたけど、あそこって車以外に物も生産してたのか、ある意味それが驚き。で、今日はどこの牛乳かな…と期待しつつ棚を覗いたら、大阪の牛乳だった。やはり日替わり状態に変化はないまま。
そして相変わらず納豆とヨーグルトがない。水はたまたま入荷したてだったのか、おばちゃんやおっちゃんが血相を変えてペットボトルを奪い合っていた。お1人様1本だけど、あんなふうに買われたんじゃあっという間に売り切れだ。

ところで会社の近くにあるスーパー(非電鉄系、強いて言うなら百貨店系)を覗いたら、意外と物が豊富にあった。なんとヨーグルトが売っているし、納豆に至っては何銘柄も置いてあって、まるで震災以前の雰囲気。問屋のルートが違うのか、百貨店系だから多少高めでもお客さんが付くから仕入れられるのか。地場スーパーはまた品揃えが違うし、どこでも金太郎飴のように同じ品揃えと思っていたスーパーが、地震&停電がなければ違いをここまで意識することはなかっただろう。
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2011年04月01日

今日のスーパーその2

昨日に引き続き、帰宅途中にスーパー。
今日は東急ストアだけ。

納豆売り場には、昨日見たブランドの納豆と、もう1ブランド別の納豆が並んでいた
こりゃ復興も本格化してるんだなぁ、良かった。
そして牛乳売り場、今日は埼玉の牛乳が並んでいた。まさに日替わり。
そしてこれまた久々、オレンジのパッケージの農協牛乳も並んでた。

でもやっぱりヨーグルトと水はないし、缶詰も品薄。
他にも結構棚ががら〜んと空いているのは前日同様。

水と言えば、炭酸水はどういうわけか(?)大量に売れ残っていた。
粉ミルクを溶かすのには使えないし、煮炊きにも当然使えない。
飲み水に使うとて、炭酸が苦手な人には端から見向きもされない。
そんなわけで、またまた久々にGerolsteinerを1瓶購入した。
ちなみに水はボトルの大きさや種類に関わらず、お一人様1本まで。
乳幼児を持つ人だけ、2リットルまで購入できる制限付き。
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2011年03月31日

今日のスーパー

今日は帰宅の途中にTescoと東急ストアをはしご。
Tescoには初めて見る神奈川の牛乳とプライベートブランドの牛乳が売ってた。
PBの方は茨城のメーカー製だった。
でも店内はかな〜り薄暗いし、やっぱり物がない。

次は東急。薄暗いし物がないのは同様。こちらは静岡の牛乳だった。
そして、地震発生から実に20日ぶりに、納豆を見かけた!
数パックしかなかったけど、間違いなく水戸納豆。
生産と物流は少しずつだけど復活しつつあるようだ。

…ヨーグルトと水はまだどこでも見かけないけど。
先日の彦根出張の際、コンビニで見かけて思わず何度か食べてしまったよ。
たくさんある時には気にならないのに、いざ手に入らなくなると無性に欲しくなる。
僕を含めてこんな人が多いから、買い占めパニックが起きるんだろうな。

某K氏から「ファミマでヨーグルッペコーナーが大きくなってる」とメール。
他の乳製品がないからカバーしているのか、単に拡販をかけているだけなのか。
ところでヨーグルッペと言えばデーリィじゃないですか。
ってことは、やっぱりそのうち南九州の牛乳も店頭に並ぶに違いない。
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2011年03月30日

牛乳騒動

震災以来、色んなものが手に入らない。
流通が復活しつつあるようで、少しずつ物は増えてきているけど、やはりスーパーの棚は空っぽなところが目立つ。節電で照明を落としているので薄暗いし、棚には物がないし、まるで共産主義華やかなりし頃のソ連の店のようだ。いくら並んでも手に入らないものもあるし。

さて、ひところ全く姿を消していて、最近ようやく店頭に並ぶようになったものの一つが、牛乳。
とは言え那須だの阿武隈だのといった慣れ親しんだ北関東〜南東北の地名はすっかり姿を消し、代わって今までは見たことのなかった様々な地方の牛乳が並んでいる。先日近所の東急ストアで購入したのが、これ。

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木次牛乳。なんと島根から来ていた。

他に見かけただけでも、大阪や静岡、被災地で物流が滞っているとばかり思っていた岩手県、さらに船で来たのか北海道などなど。まさに日替わりで、全国各地からかき集めているようだ。そのうち南九州酪農とかの牛乳が並んでいても驚くまい。スーパーの仕入れ担当者の苦労に頭が下がる。おかげさまで、のほほんと牛乳を飲んでいられるのだから。
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2011年03月28日

数日振りの関東

先週半ばから日曜まで、琵琶湖のほとりに出張していた。
被災地から遠く離れた彦根は一見いつもと変わらない雰囲気だったが、コンビニでは水が売り切れていた。この水の売り切れの話はローカルニュースでもやっていて、量販店やドラッグストアでも軒並み売り切れ。なぜかカートンで買っていく人、被災地や首都圏の親戚に送る人などが一斉に買った結果らしい。水以外にも品薄のものがあり、空っぽの棚には「被災地に優先出荷」「製造工場が被災のため入荷していません」などの張り紙がしてあった。

とは言え店内は煌々と明かりが灯り、何とも平和な雰囲気だった。当然ながら地震もなく、久々に肺いっぱいにおいしい空気を吸い、心行くまで水を飲み、仕事は別にしてもリラックス。横浜では知らず知らずのうちに身構えていたようだ。横浜ですらそうなのだから、被災地やより原発に近い地域の人は相当ストレスが強いはずだ。

さて、仕事を終えて新幹線で新横浜に降り立った。改札を出るまでは、西ののんびりした空気をそのままに持っていたのだけれど、市営地下鉄のゲートをくぐったとたんに現実に呼び戻された。節電のため、エスカレーターが動いていない。構内の照明も半分ぐらい消えていて、薄暗い。電車を待つ人の顔も暗く、別段何かをしているわけでもないのに不安な空気が強く漂っている。新幹線でわずか数時間、でも東西の差をはっきりと感じた移動だった。

そして家に帰って一息付いていると、カタカタ…といきなり地震のお出迎え。スーパーに行けば、相変わらず棚には物がない。生鮮食品は多少戻りつつあるみたいだけど、品ぞろえも品数も明らかに少なくなっている。保存食品もかなり品薄。考えてみたら地震からまだ2週間。あまりにも多くのことが一度に起きてしまったので、地震そのもの昔の出来事とすら錯覚しかけていたけれど、わずかな時間しか経っていないのが現実だった。
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2011年03月22日

計画停電と通勤

計画停電or輪番停電、不計画停電だの不平等停電だのとさんざん言われているし、僕もそう感じてはいる。でも被災地の人たちの事を考えたら、不平ばかり言っていてはいけない。地震と津波、さらに原発の放射能に襲われるという大変な事態に直面しているのだから。数日おきの数時間の停電で文句を垂れるのは贅沢すぎるだろう。

とは言うものの聖人君子ではないので愚痴らせて下さい。

3月14日、地震から初めての出勤日。通常、僕は新百合丘から小田急に乗るのだけど、なんと停電の影響で小田急は新宿〜経堂しか動かない。仕方ない、東急で行くか。こんな人が多かったのだろう、間引きで本数が減っていた東急に人が集中し、駅に入るのも行列だし電車に乗るのも一苦労、やっと乗った電車はすし詰めでノロノロ運転。ほうほうの体でようやく会社にたどり着いた。その日は仕事も手に付かず、早めに帰ることにした。とは言え小田急は新百合までは走らない。さらに田園都市線も17:30頃まで運行していない。仕方なく、渋谷から東横線に乗った。東横線も普段なら横浜まで走るのに、この日は武蔵小杉で打ち切り。せめて日吉まで行ってくれたら、市営地下鉄に乗り換えられるのに。結局、自由が丘で大井町線に乗り換え、二子玉で運行を再開した田園都市線に乗り換え、ようやく帰宅。毎日こんな感じじゃ体が持たないよ…。
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そんなわけで、翌日。始発で行くことにした。これならそこまで混んでいないだろう、と思ったのだけど、やはり停電の影響は大きかった。通勤トラブルを警戒してか、始発の時点でこれだけ待っている。
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当然車内もそこそこ混んでおり、座るべくもない。地下区間に入るころには、満員となっていた。う〜む。これはこれでどこかおかしくなりそうだな。

その後、小田急の運行区間が新百合まで伸びてきた。ならば新百合に戻そうか。でも平常時でさえ輸送力が足りていない通勤時間帯、間引きをするのだからとんでもないことになりそうだ。やはり早く行くしかないか。そんなわけで始発ではないけれど、5時台の電車で行くことにした。この時間帯、あざみ野行きのバスはあっても新百合方面はない。家から1時間ばかりてくてく歩き、駅に向かった。電車はそれなりに混んではいたものの東急ほどではないのは良かった。後で聞いてみると、ラッシュ時間帯は積み残しに次ぐ積み残し、恐ろしいまでの詰め込みと、とんでもないことになっていたようだ。

そんなわけで、目下天気が悪くなければ新百合まで歩き、雨天であればあざみ野までバスで出て東急、という通勤経路。両方とも合理的な通勤経路…になるのかな、バスの運行時間帯とかを考えれば。少なくともこのご時世、ラッシュ時間帯を避けて時差通勤するのは十分に意味がある。そして計画停電のことを考えると、日のあるうちに帰り、停電に備えることもとても重要。そんなわけで、時差通勤励行中、少なくとも計画停電中は止むを得まい。
posted by Adzinski at 23:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月14日

徒歩帰宅

金曜日の地震。
いつものように揺れ始めは「あ、地震だ…」と思っていたらどんどん強くなり、これは危ない…と。机の脇の荷物の山を抑えつつ窓から外を覗くと、向かいのビルが目で見てはっきりと左右に揺れていた。あまりのしなり具合に崩壊するんでは…と心配になるような揺れ方をしていた。外からは何かの落ちる音、ガラスの割れるような音が聞こえ、道行く人は立ちすくみ。やたら揺れが長かったように感じた。今までにない大きな揺れは、一言で言って恐ろしかった。

ようやく揺れも収まったような気がして、あらためて事務所の中を見る。机の周りは書類の山が崩れ落ち、パソコンの液晶モニターが落下し、プリンタ脇の高いところに置いてあったスキャナーも落下。ちょうど飲みかけだったマグカップのお茶もこぼれていた。隣の倉庫室では梱包がまるごと落ちていた。給湯室は冷蔵庫・電子レンジとも歩きだしていたけど、幸いなことに戸棚やコップは無事。

ついに関東大震災?とも思ったが、それにしては揺れがそこまでひどくない。いつぞの起震車ほどじゃないもんな。地震速報はあらかたダウンしていたが、ようやく繋がったのを見ると東北で震度7と書いてあり、驚いた。その後も強い余震が続き、震源位置も宮城沖から茨城沖、いったい何が起きているんだ…と茫然自失。ラジオを点けて情報収集するも混乱状態だし、パソコンの画面はすさまじい津波を映し出している。

片づけをしている間に、打ち合わせ先から上司が戻ってきた。電車が動いていないから新宿から歩いてきたということだ。余震は少しずつ落ち着いてきたが、とてもこれでは仕事にならない。とりあえず散らばったものを片づけ、今日は早く帰ろうということで、仕事を早めに切り上げて会社を後にした。

小田急はどうなっているのか、どうせ止まっているんだろうけど駅員に状況を確かめねば…と駅に向かう途中、ふと高架を見ると井の頭線がホームまであと数十メートルのところで止まっていた。
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ちょうど乗務員がお客さんを線路上に降ろし始めたところだったようだ。小田急も案の定動いていない。いつ再開するかもわからない。となると何とか帰宅方法を考えねばならない。実は以前、会社から家まで歩いてみたことはある。土地勘がそこそこある246コースで4時間かかるが、無理なく帰れることが分かったのは良い経験となった。でもはっきり言って、そんな「万が一」のための経験なんて活きない方が良かったのだけど。

まずは三軒茶屋に出る。茶沢通りからバスがあり、動いているというので使うことにした。結論から言えば、失敗。確かに座れたので体力の消耗はなかったけど、途中から大渋滞になってほとんど進まなくなってしまった。ようやくたどり着いた三軒茶屋、一縷の希望を持って田園都市線を覗いたけど、動いていない。いつ復旧するかも分からない。そこで神奈川方面に向かう人の群れに交じり、246をひたすら歩くことにした。

246は通行止めになっておらず、自家用車・タクシー・バスがびっしりのろのろ。途中のバス停では山のように人が待っているけれど、たぶんターミナル駅を出た時点でバスは満員なのだろう、ほとんど乗れていないみたい。中には客を途中から乗せるのをあきらめて、行き先を消したバスまで走っていた。

ようやくたどり着いた二子玉川駅。大して期待もせずに駅を覗いてみる。やっぱり動いてないや。
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駅の時計は地震発生の少し後の時間を示して止まっていた。いつまで待つつもりなのか、階段や構内に座っている姿も。確かに中央林間とかだったら、歩くのはとてもじゃないが難しい。

二子玉からは246ではなく、大山街道を通って溝の口に向かった。南武線も運転していない。タクシー乗り場にはとんでもなく長い行列。バス乗り場も同じ。幸いにして、市バスが運転しているというので、市バス→小田急バス→東急バスと乗り継げば帰れそう。何とかバスに乗り一安心した。渋滞はひどいが、これで帰れる…。そのうちなんだか雰囲気が変なことに気付いた。明かりが灯っていない。店も人家も街灯も、信号すら消えている。

会社を出て4時間あまり、ようやくたどり着いたあざみ野駅。いつもの21時頃ならば煌々とネオンが灯り、飲食店は人で溢れ、家路に急ぐ人並みのある駅前通り。電気が全て落ちていて、真っ暗だった。警官が手信号で交通整理をしていた。信じられないほど暗い街並みは、それだけでも恐怖感を生み出すんだなぁ、などと思ったり。
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ちょうど駅前にバスがいたので、乗り込んだ。電車が止まっているから、お客さんの姿は皆無。運転手さんと話をしたが、この先もずっと停電しているそうだ。状況がさっぱりつかめないのは誰でも同じだった。途中の交差点は信号が全て消えており、交通整理の姿もない。バスは慎重にに走ってようやく最寄りのバス停に到着し、「お気をつけて」と言葉を交わして下車した。

心配していた我が家、物が多少落ちた位で済んでいた。
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2011年03月13日

地震

金曜日の地震。
当日は大変なことになっているとの第一報だけ聞いて、仕事は早めに切り上げて出た。
都内の事務所から神奈川の自宅になんとか帰宅した。

翌日、一夜明けて続々と被災地の情報が入って来るにつれて、震えすら覚えた。
運転中はラジオを点けっぱなしにしたが、こんなことは初めてだ。
地震、津波、原発事故。こんなときは不安を自己増幅しないよう、落ち着かねば。

そしてさらに一晩、通信途絶だった地域の様子が少しずつ明らかになり、茫然。
気仙沼、釜石、陸前高田は学生時代に友人と「リアス式海岸を見に行こう!」と訪ねた場所。
山と海、複雑に入り組んだ海岸線を見て感動したものだ。
給油中にいろいろしゃべったガソリンスタンドのおばちゃん、海沿いの寿司屋さん、
食糧を求めて立ち寄ったスーパーマーケット、果たしてどうなったのだろう。

福島東部、まさに津波に襲われた場所は、数年前に仕事で滞在した場所。
本社は内陸の平にあったけど、訪れた現場は相馬から原町の一帯に広がっていた。
お世話になった営業所の人達、無事だったんだろうか。

ただひたすら、地域の方々の命が1人でも多く助かることを祈ることしかできない。
何もできないのが何とももどかしい。
posted by Adzinski at 11:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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